21歳になったばかりの時に初めて出産を経験をし、
それから15年経った今は、
5人の子供たちに囲まれて暮らしている。
この15年は嵐のような様々な出来事が起き、
哀しみも喜びも全てを共にしてきた子供たち。
長男が5歳の頃、
途方に暮れた私は息子の前で、
「お母さんどうしたらいいの?」と泣いたことがあった。
息子は一言。
「お母さんはいつも僕たちに自分で考えなさいと言ってるよ。自分で考えないとダメだよ」と。
余裕のない私はきっと子供たちを温かく見守ることより、
そう言っては突き放していたのだと、
小さな息子を前に血の気が引いた。
5人の子供が産まれる度に、
私もずいぶん変わったと思う。
それに振り回された子供たちは、
どんな想いを抱えて生きてきただろう。
自分の世界に閉じこもるのに本に没頭していた息子。
小学生の頃には自分で小説を書くほど表現を知り、
学校から帰ってくると必ず新聞を読むようになった。
新聞は心のスイッチを切り替える大切な活字なのだ。
ゲームの合間にも手元に図鑑などの本を置いては読む。
その息子からの卒業の手紙が、
あまりにも無邪気で馬鹿げていて落胆したが、
ふとこれまでを思い起こすと、
あの手紙は彼なりの不器用な甘えだったのだなと気付いた。
何故なら彼は妹達が産まれる度に
誰よりも世話をし、
週末の家族のご飯の世話をするなど、
大人と同じぐらいに家事炊事で働いてきた。
手紙の内容と現実はかけ離れていて、
大人と同じように家族を支えてきたのだから。
おんぶ紐で妹を抱っこする姿を、
スーパーで知り合いに見られても、
恥ずかしいなんて言わない程に当たり前の我が家の暮らし。
子供たちの支えがないと、
生活が回らない日々。
そんな息子からの手紙。
昔の私なら、
「しっかりしなさい、時と場合を自分で考えなさい」
と息子を叱っていただろう。
幼き頃にしっかりと受け止めてあげられなかった心を、
私はようやく受け止められたのかもしれない。
言葉にはならない想いが、
それぞれにある。
それらをうまく伝え合うのは、
なんて難しいのだろう。
明日は2女の卒園式。
そして4月に入ると息子の入学式。
春休みでみんないるから、
全員を連れて行かないと出席できないよ、との問いに、
「じゃあみんな連れて来れば」との返事。
兄の入学式には妹総勢4人で出席です。