鐵道に揺られて

背高泡立草ができる限りの黄を放つ、ある秋晴れのもと、地元の鐵道の座席に腰を下ろした。いつもは車から眺める景色を、今日は鐵道に揺られてみようとふと思い立ったのだった。出発間際になって老夫婦が駆け込む。2人が無事に車内に乗り込むのを確認して、直ぐに出発した。もしかしたら、予定時刻を過ぎていたのかもしれない。それでも待ってくれる温かさが、この鐵道にはあるのだ。

眩しく眠たげな日差しの中、1両のみの明るい車内では、余裕のある座席に、それぞれが好きなところに留まっている。本を読む人、スマホを見つめる人、外を見つめる人、目を閉じる人などなど。息子と同じ年頃の青年は、目に映るすべてのものに興味を降り注ぐかのごとく、次々と視線をすべらしていた。若いって素晴らしい。

さて終点の駅に着き、改札を出ようと歩いていると、房総ちらしなる駅弁が。思わず手にとってしまった。はいお買い上げ。お弁当を下げたまま、目的地へとバスで移動する。バスに乗り込もうとすると、今時はどうやらPASMOとやらで精算をするらしい。小銭を握りしめた私は、数字のかかれた小さな券しか知らず、まるで浦島太郎のよう。とりあえず乗り込み、降りるときには現金で支払ったが、余程のご年配の方以外は、カードをかざしてはスマートにバスを乗降するのだった。

用事を済ませ、帰りのバスを待っていると、海苔屋さんを営むおばあさんに話しかけられた。海苔について沢山のお話が聞けて、面白かった。そう言えば、鐵道でもおばあさんに話しかけられたなぁ。私は幼い頃からお年寄りの方に話しかけられる機会に恵まれているようだ。

おばあさんと一緒にバスに乗り、駅に到着するとやはり唯一現金支払いの2人組、無事に帰宅することを互いに祈り合って別れの挨拶とした。次に私は鐵道に乗り換える。ホームに下るとラッキーなことに、出発する車両が止まっていた。夜風が冷たくなってきており、いそいそと座席に腰掛ける。ほっとして顔を上げると、向こうのホームではJRの長い車両が到着した。がそこからが長かった。JRのホームでは次から次へと電車がやってきては去っていく。それなのに、私の乗る2両の鐵道はなかなか発車しないのだ。普段携帯電話を持ち歩かない私は、時間が分からず、なかなか出発しない鐵道に焦ったさを感じだした頃、ようやく扉の閉じる音とともにガタンゴトンと動き出したのだった。

鐵道の中では、向かいの座席の半数の人がスマホを見つめていた。外の景色も暗闇に覆われて見えない中、一つの時間の使い方なのだろう。そしてそれを観察する私は、まぁ、ソワソワと周囲を気にするお上りさんの帰宅途中と言ったところか。こっそりとパンを食べる若い女性、切符を買おうと千円札を握りしめるおばあさん、しっかりと自分の世界に入り、本を読む男の人。うつらうつらして、私にもたれかかる女子高校生。小さな車両には、私には珍しい景色が広がっていて、どこまでも想像をかきたてるように、いろんな人が、一つの小さな空間を共有していた。

駅に着くと、暗闇の中から急に木造の駅舎が現れる。大正時代から続くものらしく、なんと情緒ある秋の夜長だろうか。1人感動して目をくるくる動かしていたが、周りの人たちは当たり前のいつもの情景に、自分の視線を変えることはなかった。当たり前の日常が、こんなにも詩的な情景だなんて!素晴らしい。

ようやく目的の駅に着くと、息子の同級生がすれ違いざまに乗り込んできた。この間までは丸刈り頭に自転車で、里山を走り回っていた彼らが、急に大人びて見えて、微笑ましく温かい気持ちになった。この地元の鐵道に触れながら、みんな変わっていくんだね。

家に戻ると、いつもの日常。お風呂掃除をするちびっこ2人。成長期の娘は、お腹すいた〜のいつもの台詞。ゲームをする息子の周りでは、邪魔をしながらハイハイする幼き子。そして「ダメだよ、れい〜。ふふっ!」なんて怒る気もない息子の声。1、2、3、4、5。ただいま!みんな揃っているね。お母さんは随分と長旅をしてきた気分です。

ある小さな旅日記より。

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